Genmai雑記帳

・・・人にやさしく

名古屋地裁:遺留分減殺の権利濫用

昭和48年(ワ)第2303号 遺留分減殺請求事件
昭和51年11月30日 名古屋地判
要旨

 養親子が、事実上全くの離縁状態にあり、実質上の養親子関係は消滅していたという事情の下、後に養子となるものが〜長い間いわば一生をかけて〜誠意をつくして〜めんどうを見、介護に尽し、財産を守り〜遺産として〜あるのもひとえにこの者の献身と努力に負うと言うべき場合〜、〜事実上消滅していた養子からの遺留分減殺請求は〜権利の濫用〜。

1 E〜は〜夫〜が昭和7年に死亡〜昭和11年当時は六〇才で〜名古屋市〜にひとり住い〜。昭和11年頃、被告〜は嫁入前の行儀見習いとしてE方に住み込むようになった。16才であった。

 F〜は、Eの甥〜原告X1と婚姻〜 Eには子供がなく〜
 昭和18年〜被告はJと結婚し、E方を出て〜新居〜
〜同年11月〜EはF・X1夫婦を〜養子とする〜縁組〜届出〜

2 〜養子縁組の届出がすんでから、F夫婦はEに〜不動産全部の所有名義をFに書替えることを求めるようになった〜、Eは、「まだ早い〜とこれを拒んでいた。〜感情的な対立〜昭和19年〜FがEの面前で「親でもない、子でもない。」と乱暴なことを言ったり、キセルの頭で激しく食卓を叩いたり、ステッキを振回すようなこともあった。

 〜夫婦の態度に、Eはいよいよ将来の生活の不安を感じ、頑なに夫婦の財産書替の要求を拒んでいた〜、昭和19年4月(入籍後5ケ月目)、F夫婦は、「もう親でも子でもないから面倒を見ることはできない。」と言って〜家を出て〜転居、疎開〜。

 〜Eがひとり住い〜戦争が激しくなり、警察からは〜防空上好ましくない〜早く疎開するようにと命ぜられ、Eとしては行く当てもなく、途方に暮れるばかり〜
〜被告はEを見舞って〜実情を知った。〜偶々、被告の夫・Jが〜応召し、留守宅〜Eの窮状を見かねてこゝに引取る〜Eは〜被告方に移って〜同居
 昭和19年〜戦争がますます激しく〜被告・Eらもさらに疎開を迫られ〜。
被告〜は夫の実家〜に疎開したかったが、〜Eが反対〜。〜Eを伴ってくることには、Jの実家の両親も難色〜
〜そこで被告の実家・岐阜県D町に疎開しようとしたが、実家でも〜Eが一緒では困ると難色〜
〜代りに岐阜県〜の料理屋の離れに疎開先を探してくれた。〜12月、被告はEと二人〜疎開

3 昭和20年に戦争が終り〜21年〜被告の夫・Jが復員〜。Jは、〜被告がJの実家〜に移り〜夫婦が同居〜を強く求めた。しかし〜Eを伴って来ることには反対〜。Jの実家〜も同様〜。当時、Eは神経痛の持病で寝たり起きたり〜、〜E一人を残して〜移ることは被告としてはしのび難いこと〜
〜そこで、被告は、Jが〜疎開先に移って来て〜夫婦同居することを求めたが、Jは〜応じなかった。〜被告が進退に窮した生活を約十ケ月も続けるうちにJから離婚を求められ〜被告〜は〜Eを見放すことができず、やむなく昭和22年〜離婚〜

〜その間、昭和22年頃から被告は〜工事事務所〜出張所に事務員として勤め〜、その給料収入でEと二人の生活を支える〜
〜Eの家賃収入は当時物価の上昇に追いつかず、二人の収入の僅かなものに〜。また〜E所有の不動産〜について財産税〜円を納付する必要〜Eに現金はないので〜Eの着物類と共に被告の嫁入着物、道具類も売払ってその金を調達〜。

〜昭和23年〜「これからも面倒を見て欲しい〜Eとの養子縁組〜

4〜昭和28年〜二人は名古屋市中区C町に戻ってくることができた。
〜昭和31年〜被告は前記の勤め先を退職〜。〜Eが八〇歳にもなり、〜を併発〜日中もE一人を置くことができず〜介護を必要〜ため〜。
〜Eが「先祖から貰った物を売るつもりはない。」と頑張り、極度に切り詰めた生活〜、傘張りやナプキン折り、ボタン付けなどの内職に精を出し、テレビはEが見たくないと言うので買入れることもなく、物見遊山に行くこともなく、再婚の機会はあったがEが〜賛成しないので〜断念〜専らEの介護とその財産の維持につとめてきた。

昭和44年〜Eは九三歳で〜死亡〜。被告は当時すでに49歳〜

5 F夫婦が〜Eの家を出てから〜死亡した昭和44年までには25ケ年〜
〜EとF夫婦の間に往き来〜は、昭和27年〜頃と〜頃にX1が〜疎開先にEの病気見舞に来たこと、昭和28年頃にX1が〜E方に立寄ったこと〜、夫婦の子供が正月に一度〜遊びに来たこと、それだけ〜。
この間、夫婦の三人の娘と長男はそれぞれ結婚〜Eにはこれらの結婚の通知も結婚式への招待もなかった。〜

 右認定の事実〜F夫婦は昭和19年〜に「もう親でもない、子でもない。」と言い放って当時68才で病弱のEを見捨てゝ家を出て以来、Eが死亡した昭和44年〜までの25年間〜養子らしいことは何一つとしてしたことはなく、殆ど音信杜絶の状態で、事実上全くの離縁状態〜、実質上の養親子関係は消滅していたと言うべき〜。
これに反し、被告は、EがF夫婦に見捨てられてからその死亡に至るまでの長い間〜、被告のいはゞ一生をかけて、実の子でも及ばないような誠意をつくして、Eのめんどうを見、介護に尽し、Eの財産を守り、〜
本件不動産がEの遺産として今日あるのもひとえに被告の献身と努力に負うと言うべきもの〜
この被告に対し〜形式的に遺贈減殺請求権があることを根拠に遺贈の減殺を求める原告らの本訴請求は、法が設けた遺留分制度の趣旨にもとる〜権利の濫用として許されない〜。

大岡裁きのような感じですが、納得できる結果です。
下級審の長い判決を読むのは大抵の場合、苦痛ですが、この二人の人生をトレースしていくようなこの判決文は、まるで物語のように、最後まで読んでしまいました。