大阪高裁:債務のみの相続・遺体、身回品、所持金の受領、治療費の支払後の相続放棄

昭和53(ラ)447 限定承認申述受理申立却下審判に対する即時抗告申立事件
昭和54年3月22日 大阪高決
要旨

915条①~「相続の開始があつたことを知つた」というためには~死亡の事実を知り、自己が相続人になつたことを知つたことに加えて、少なくとも積極財産の一部or消極財産の存在を確知することを要すると解すべき~

921条~単純承認の擬制は、相続人の意思を擬制する趣旨~、~とくに遺産が債務のみの場合~~認定ないし擬制~は特に慎重でなければならず、~行方不明であつた被相続人が死亡したことを~警察署から通知~同署の要請により~価値のない~身回り品、僅少な所持金を引き取り~自己の所持金を加えて~火葬費用+治療費~に充てた行為をもつて~「相続財産の一部を処分~」~ということはできない。

 
(以下、抽出・加工あり。原文参照)

(11)昭和51年2月~突然~警察署から~電話で被相続人が死亡した旨の連絡~、同月4日抗告人3名は~警察署へ赴いた~係員から~3日に死亡~発見~、~既に火葬場に送られていることを聞いた~、火葬場に行き~遺骨を貰い受け~、その際同警察暑から金2万0423円の~所持金と、ほとんど無価値~着衣、財布などの雑品の引渡を受け~、その場で医院への治療費1万2000円、火葬料3万5000円の請求を受け~抗告人らの所持金を加えてこれを支払つた。
 
(12)~ほか全く~(積極財産)がなく、~相続のことなど全く念頭においていなかつたところ~約2年6ヵ月経過した昭和53年7月~保証協会から~請求~の訴を提起され~訴状が同年8月初頃抗告人らに送達~はじめて被相続人には総額145万7869円の相続債務が存在することを知つた。
 
(13)同年9月8日~相続放棄申述書を提出~期間~徒過~理由として受理されなかつた。

二(一)従来、915①~「自己のために相続の開始~を知つた時」とは、~死亡の事実のほか、~自己が相続人になることを覚知したことを要し、+、これをもつて足りる~(~)、~他に遺産の存否や範囲を確知する必要はない~、先順位相続人の相続放棄、死亡など法律上事実上の複雑な事情が介在する場合は格別、本件のように被相続人の第1順位の相続人~のみが~死亡の事実を覚知したような場合~、右覚知した時をもつて~「自己のために相続の開始~を知つた時」にあたると推認するとの解釈~取扱が一般になされてきており、しかもそれは~積極財産が皆無~消極財産~債務のみが存在する場合においても異なるところがないとされている。~

 ~従来の解釈、取扱例~債権者側において~熟慮期間が経過するのを待つて突如~支払を求めるという功妙な手段をとる事例が続出~、~相続の放棄をするすべを失い、父or夫の~多額の債務に泣く数多くの妻子が居ることは、いまや公知の事実~
 
 ~このような事態は、個人の尊厳とその意思の尊重を基調とする現行相続法の理想に悖ること甚しく、個人の幸福を重視する現代の社会通念に照らしても到底これを黙過~できない~。

(二)~当裁判所は、相続の根拠、債務の相続の性質、相続放棄制度+単純承認擬制の趣旨などにつき、次のとおり再検討~、~消極財産のみが残存する場合に対処するため~従来の解釈、取扱を変更することとし、915条①~「相続の開始があつたことを知つた時」といわんがためには、相続人において、被相続人の死亡の事実を知り、+自己が相続人であることを知つたことに+、少なくとも積極財産の一部or消極財産の存在を確知することを要すると解すべき~と考える。

(三)~相続を認める現行法上の根拠は、古い「家」制度の維持~ではなく、主として遺産の中にある相続人の潜在的持分財産の払い戻しないし遺族の生活保障と被相続人の意思にある。
-したがつて、積極財産~承継~は潜在持分財産の払い戻しにも当り、生活保障に有益~、被相続人の意思にも副うといえる~も、債務(消極財産)を~承継させることは、もとより財産の払い戻しではないし、通常被相続人の意思にも反し、相続人の生活保障にとつても有害無益~。

(四)そこで~別個の観点からさらに考察~。
 一般に、遺産債務承継の根拠は、~死亡による債権者の権利の消滅を防止~とともに権利の法的安定を図る~といわれている。
~いかに権利を安定させて債権者の保護を図るといつても、過大な債務のみを相続人に無制限に押しつけるのはこれによつて相続人の生活をおびやかし、元来被相続人自らがその責任において負担し、決済すべき債務であるのにかかわらず、これを相続人の意思に反してまで相続人にその履行を強制することとなる~、個人意思の尊重を基調とする現行相続法の精神に悖るものである。
 
920条が遺産債務の承継を認めているのは、相続人が~自発的意思に基づいて遺産債務を承継する場合があることと、相続人が被相続人の積極財産のみを承継して債務を承継しないことを許しては公平を失し、一般債権の共同担保となつている一般財産としての積極財産のみを債権者から取上げることになつて債権者を著るしく害するにいたるからにほかならない。
 
元来、~積極財産が存在する場合~遺産債務はそれに附随する負担ないし消極的要素たる法的性質を有し、これを切り離して相続財産が存在するものではない~、積極財産の承継を望むものは、それに附着した消極財産をも承継しなければならないのであつて、この場合には~915条①~「相続の開始があつたことを知つた」というには必ずしも消極財産の存在とその範囲を確知する必要がない。
-即ち、甘い汁を吸う者は、苦い汁をも受けねばならない~、これが遺産債務承継の主たる理由である。
 
これに対し、~積極財産が皆無で債務のみが残存する場合には自らその事情を異にする。
東洋には古来「父債子還」の思想もないではないが、これは古い家族制度に由来するもの~、個人の尊厳を基調とする現行法とは相容れない~、被相続人の債務はあくまで被相続人の債務~、相続人(妻、子など)であるからといつて、これを当然に承継すべき理由は存しない。
 
ただ、相続人が積極的に債務承継の意思を表明するときには、その意思を尊重して債務の承継を認めることは差支えないのであつて、遺産が債務のみで積極財産皆無の場合における債務承継の唯一の根拠はここに求めるほかない~。

(五)~相続放棄制度について考察~。
 古い「家」制度の維持のための相続法では、相続人は、たとえば、旧民法上の法定推定家督相続人のように己れを犠牲にしてでも債務を含めた相続を甘受しなければならず、相続の放棄は相続人の恣意にゆだねられないところであつた。
 しかし~個人の尊厳とその意思の尊重を基盤とするに至つた現行相続法においては、人は己れの意思に反してまで義務を負わされることがなく、相続の放棄も相続人の自由であるとされ、~915条はすべての相続人に相続の単純承認、限定承認、放棄を選択する自由を与えている。
 
 そして、相続の放棄は、初めから相続人とならなかつたものとすることによつて、債務超過ないし債務のみの相続によつて相続人が過大なしかも自ら関与しない債務を負うことによる不利益から相続人を保護しようとするもの~、相続人に認められた選択の自由ないし放棄の自由は相続人の基本的人権にも繋がる重要な事柄である。
 
元来、債権者は~被相続人の一般財産を引当としてその債権の履行を強制し得るに過ぎない~、それを越えて相続人自身の財産から満足を受けるというのは全くの僥倖というほかはない。
 
そうであるからこそ、相続人の債権者において、相続人の固有財産と相続債務の混同を防止するため、950条により相続人の財産の分離請求をすることが許されており、さらに、相続人が相続債務の債権者を害することを知つていたとしても、なお相続の放棄が許されるのであつて(最判昭49・9・20~)、債権者保護に優先して相続放棄~その選択の自由を十分に確保する必要があり、これを実質上形骸化するような熟慮期間徒過についての安易な解釈、運用は許容できない~。
 
 なお、相続債権者は債務超過にある相続人に相続財産(積極財産)が相続されることによつて不利益を受けることもあるが、この場合には941条により相続財産を分離することができる~相続債権者の保護に欠けるところはない。

(六)単純承認とその擬制の法的性質~。
 前示相続の根拠+民法全編を通ずる個人の尊厳ないしその意思の尊重の要請++920条の「単純承認をしたとき」との文言に照らすと、単純承認は相続人の自発的意思表示に基づく効果であり、921条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨~
 
 したがつて、とくに遺産が債務のみの場合には相続人が通常この債務を承継してその支払を引受ける自発的意思を有することは稀なことであるから~債務承継の意思の認定ないし擬制を行なうについては、特に慎重でなければならない。

(七)~本件のように行方不明であつた被相続人が遠隔地で死去したことを~警察署から通知され、取り急ぎ同署に赴いた~妻、子が、同署から戸籍法~、死体取扱規則~に基づき~着衣、身回り品の引取を求められ、~やむなく殆んど経済的価値のない財布などの雑品を引取り~所持金2万0432円の引渡を受けたけれども、右のような些少の金品をもつて相続財産~とは社会通念上認めることができない(このような経済的価値が皆無に等しい身回り品や火葬費用等に支払われるべき僅かな所持金は~897条~祭祀供用物の承継ないしこれに準ずるものとして慣習によつて処理すれば足りる~、これをもつて、財産相続の帰趨を決すべきものではない)。
 
のみならず、抗告人らは右所持金に自己の所持金を加えた金員をもつて~遺族として当然なすべき~火葬費用++治療費残額の支払に充てたのは、人倫と道義上必然の行為であり、公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するもの~、これをもつて、相続人が相続財産の存在を知つたとか、債務承継の意思を明確に表明したものとはいえない~921条(一)の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえない~単純承認を~擬制~できない。
 
(八)~右のように解した場合~債権者が、熟慮期間内は~事実上~債務の支払を求め得ない点からみて、債権者に酷ではないかという見方があるかも知れない。しかしこの場合、債権者は相続開始の後のできるだけ早い機会に~相続債務の存在を通知~できるし~この通知~こそ信義則に合致するもの~、右通知を受けてから3ヵ月の熟慮期間内に相続放棄の申述をしない相続人となるべき者については、921条(二)~単純承認~とみなされるのであるから、前示解釈~によつて債権者の保護に欠けるという非難はあたらない。

三~本件相続は、相続財産として積極的財産が皆無~消極財産たる債務のみが存在する場合~、相続人~は、~死亡を昭和51年2月~に知つたけれども、その当時相続財産として積極財産はもとよりのこと消極財産たる債務の存在することを全く知らず、したがつて債務承継の意思を有していなかつた~、
 
~昭和53年8月初頃前示債務の支払を請求する訴状の送達を受けるに及び、始めて多額の相続債務が存在することを知つたので、同年9月8日~相続放棄の申述書を提出したことが明らか~
 
~915条①の「自己のために相続~開始~を知つた時」は、右の訴状の送達を受けた昭和53年8月初頃~3カ月以内の同年9月8日に~した~相続放棄の申述はこれを受理すべきもの~

なかなかすごい判決ですね。こういう高裁判事がいたのですね。